故事・story
嘉義神社
日本統治時代の1915年に日本人によって建てられた「嘉義神社」。
その後、嘉義市の急速な発展に伴い参拝客が増えたため、1943年に大幅な増改築が行われた。増改築後の神社には、本殿、拝殿、幣殿、向拝、祝詞殿、神饌所、祭器庫、神輿庫、斎館、社務所、参集所、手水舎、鳥居などが建てられ、当時としてはスケールの大きい素晴らしい神社で、台湾五大神社の一つに数えられた。
戦後、嘉義神社は嘉義市の管轄になり、「忠烈祠」に改められたが、数十年後、火災により神社の主殿は全焼、現在、焼け残った斎館や社務所は、歴史資料館「嘉義市史蹟資料館」として活用されている。
全焼した主殿の跡地には高さ62メートルにもおよぶ展望台、阿里山の御神木をイメージしたという「射日塔」という塔が造られ、中にはレストランをかねた展望台などがある。
嘉義公園
嘉義神社のあった嘉義公園は、1910年の日本統治時代に造られた歴史ある公園。戦後には中山公園と呼ばれるようになったが、1997年には設立当時の名称である嘉義公園に戻された。
現在、嘉義公園は、26万8000平方メートルという膨大な敷地面積を有し、嘉義市民の憩いの場になっている。朝からダンスやカラオケ、太極拳などをする人々の姿がよく見られる。
現在・now
嘉義市史蹟資料館
1998年10月、齋館と社務所、この2つの建物は嘉義市政府によって古蹟として指定され、2001年9月15日に「嘉義市史蹟資料館」としてオープンしました。2棟は連結していて、建築の內部は、天井、畳、障子、玄関、廊下の隅々に至るまで日本式です。
資料館内は、八つの展示エリアに分かれていて、①街の発展、②教育発展、③産業発展、④重要史事、⑤嘉義名人、⑥宗教と民族、⑦古跡と建築、⑧公園発展をテーマに、嘉義市とその人々についての資料が展示されています。
中でも、注目を集めているのが、当時の庶民生活に関する史料です。日本統治時代の嘉義の街並みの絵、1930~40年代の映画ポスター、当時使用されていた小学校の教科書など、昔の生活をしのぶことができます。
旧嘉義神社の境内に残されていた手水舎が約半世紀ぶりに復活されました。来訪者に手や口を清める日本式の作法を体験もらいたいとのことです。
神社時代の狛犬も当時のまま残っています。
石燈篭には「大正十年三月建立」の文字が彫られています。
嘉義市
嘉義は台湾の西南部に位置し、北回帰線が通る、阿里山の麓の街です。
日本統治時代には、阿里山で採れるヒノキによる林業が栄え、森林鉄道も引かれました。
また八田與一が設計したダムによって、豊かな穀倉地帯となった地域です。
嘉義市の玄関口、嘉義駅は1902年(明治35年)に開業し、現在の姿が完成したのは1933年(昭和8年)で、とても歴史ある駅です。
当時の外観を残していて、昭和の時代の日本の駅を思い出させる、雰囲気のある駅舎です。外観が北海道の小樽駅に似ているという声もあります。
駅の構内もどこか懐かしいかんじがします。
結尾・ending
資料館の展示を見ることで、日本統治時代の街、人々の暮らしの様子を偲べます。
また、コーヒーやケーキを味わえるカフェもあり、落ち着いた時間を過ごすこともできます。
嘉義市は素朴ながら見どころがたくさんある街です。
夜には「文化路夜市」が毎日開かれ、多くの市民が集います。
嘉義の名物グルメ、鶏肉飯(ジーロウファン)
夜市のエリアにある有名店「郭家鶏肉飯」は美味しかったです。
訪問・access
アドレス:嘉義市公園街42號
台湾鉄道「嘉義駅」より、県バスの市区2番に乗り換え、「嘉義公園バス停」下車。もしくは駅よりタクシーで約10分
電話:05-2711647
営業時間:9:00-17:00 定休日:月曜日
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