中山18/森林公園の鳥居:中山区にある、リノベーションされた日本家屋と、公園に残る2つの鳥居

故事・story

現在の中山區、中山エリアは日本統治時代には「大正町」と呼ばれ、日本人官僚などが住む、100坪前後の庭付きの戸建て住宅が連なる高級住宅街だった。開発に携わったのは「木村泰治

「木村泰治(きむらたいじ)」は、秋田県大館市の出身で「台湾日日新報」の編集長となり、後に実業界に入り「台湾土地建物会社」の設立に携わった。同社は基隆港高雄新市街の造成など、数々の事業を手掛けたが、その多くが木村の手によるものだったとされる。1937(昭和12)年には「台北商工会議所」の設立に奔走し、会頭にも就任している。

 

現在・now 

中山18

中山エリアの路地裏を入ったところにある日本家屋をリノベーションした商業施設になっています。
「中山18」とうい施設名は、住所の「中山北路二段26巷18號」からきているようです。

中山18

 

外観、内装ともに元の古民家をうまく生かしたものになっています。

中山18

 

一軒の古民家に五つの部屋があり、それぞれ異なった店舗が入っています。和菓子屋、皮工芸の店舗、ヘアサロン、カフェなどです。

中山18

中山18

 

 

中山18

中山18

 

森林公園の鳥居

森林公園の鳥居

森林公園の鳥居

森林公園は中山エリアにある、かなり大きな公園です。現在は市民の憩いの場として親しまれています。

日本統治時代、この場所は日本人墓地でした。第七代台湾総督「明石元二郎」は、遺言により台湾のこの地に埋葬されました。そのお墓にこの鳥居が建てられていたそうです。
小さい方の鳥居は明石台湾総督の秘書を務めた「鎌田正威」の墓に建てられた鳥居だとされています。

戦後、この日本人墓地には、中国大陸から移動してきた国民党兵士などが住み着き、次々とバラックが建てられスラムのようになり、いつしか鳥居は埋もれていました。
そして、1997年、乱立した違法住居が撤去され、公園として整備される事になって、約50年ぶりに鳥居が発掘されました。
発掘された鳥居は、当初は二二八公園に移されましたが、2010年に元のこの場所に帰って来ました。

 

我的特別・my special

MRTの中山駅を出るとすぐに、「三越デパート」が本館、新館とありますが、催事場で「日本の物産展」が開催されていました。

中山

 

結尾・ending

中山区は、台北駅からMRTで1駅で、歩くこともできる位置にあり、日航ロイヤルホテル、オークラホテルなど日系の高級ホテル、日本語の通じるスタッフのいる中級~リーズナブルなホテルも点在し、台北観光での宿泊エリアとしてお薦めです。

また、日本統治時代の建築物や住居も多く残っているので、興味のある人であれば、足を運ぶ機会も多いと思います。

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訪問・access 

中山18

住所:台北市中山區中山北路二段26巷18號

営業時間:火曜日~日曜日12:00 -20:00

お休み:月曜日

森林公園

住所:台北市中山區南京東路一段88號

24時間入園可能

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